タヌパック短信 29

●狛犬は生きている(1)

 僕はかつて、人から「趣味はなんですか?」と訊かれたとき、いつも返答に窮していました。
 音楽や小説を作ることは趣味ではないし、大工仕事は必要だからやっているだけだし、単純に「好きだからやっている」「仕事を忘れてついついのめり込んでしまう」「商売にすることはまったく考えない」というものは思い当たらなかったのです。仕方なく「焚き火」「庭いじり」などと答えていたのですが、今は迷うことなく「狛犬です」と答えます。
 狛犬の写真を撮り始めたのは十五年ほど前になります。二十五歳で結婚し、夫婦で旅行する機会が増えたのを機に、写真に凝るようになりました。
 しかし、記念撮影のようなものばかり撮っている単なるアマチュアカメラマンではつまらないので、どうせなら被写体のテーマを決めて、一生をかけて追いかけようと考えました。
 人間を撮るのは性に合わないし、野生動物の写真はあまりにも難しい。ペットの写真も世に溢れています。風景写真というのも、今ひとつ面白くない。
 被写体としての狛犬に行き着くまでに、そう時間はかかりませんでした。
「狛犬なんてどれも同じでしょう?」と言う人がいます。とーんでもない!
 ちゃんと狛犬を見ていないからそんなことが言えるのです。狛犬に比べたら、仏像のほうがよほど変化に乏しいとさえ言えます。
 関西地区の狛犬や、戦後に大量生産された狛犬は似たようなものばかりですが、その気になって神社を十社か二十社巡ってみれば、自然と狛犬の奥深さが分かってくるはずです。
 狛犬……特に参道狛犬と呼ばれる石造りの屋外放置型狛犬は、美術的価値や歴史的資料性などを認められていない「名もない」ものがほとんどです。
 狛犬の歴史をここで語り始めると終わらなくなるのでやめておきますが、神社の参道に氏子が石の狛犬を奉納して設置するという風習はかなり新しい(江戸時代)ものです。また、石工の名前さえ刻まれていないものが多く、野ざらしのため損傷も進みます。そんなわけで、学術的にも美術的にも、参道狛犬に目を留める人は非常に少なかったようです。
 しかし、そういうところが、僕には逆に大きな魅力として映りました。
 最初は旅行中に目に留まった狛犬を撮影しているだけでしたが、今は旅行の目的そのものが狛犬探しになっています。
 まず、訪問地の地図を用意し、予定ルート周辺の鳥居のマークを全部赤い丸で囲みます。カメラは一眼レフが二台(ポジとネガ。レンズは85ミリと50ミリ)。バカポンが一台(スナップ用)。
 いい狛犬に出逢ったときは、全体像、顔のアップ、後ろ姿など、一対でフィルム一本近く撮りきってしまうこともあります。
 小さなメモ帳を持ち歩き、神社名、住所、狛犬の建立年月日、石工や奉納者の名前などを記録し、後日パソコンでデータベース化します。以前はただ写真の被写体として狛犬を見ていたのですが、やはり「趣味」というのはきっちりやらないと面白くありません。
 ちなみにこのメモ帳によれば、今年(1997年)だけで既に百五十対ほどの狛犬を撮影しています。ほぼ二日に一対は撮影していたことになる計算。
 撮影した狛犬は画像ファイルに加工し、一部はインターネットの網頁「タヌパックスタジオ別館・狛犬博物館」で公開しています。
 ここまできますと、狛犬の心や健康状態が分かるようになります。そう、「狛犬は生きている」んです。
 先日、遠野に出かけたんですが、こんなことがありました。
 遠野には期待していたほど狛犬がいなくて(狛犬は「ある。ない」ではなく、「いる。いない」と言いましょう)、その日は激しい雨ということもあり、ぱっとしない旅行になりつつありました。そのうちふっと、地図に出ていない山の奥の神社に行き着きました。案内板には「旧村社倭文神社」とあります。かつては村の鎮守様として大切にされていたのでしょうが、今は寂れてしまっているようです。そもそも、何気ない道祖神さえ名がつけられている民話の里・遠野の地図に載っていないというのはあまりにも情けない話です。
 暗い山の中に入っていく寂れた参道を一目見ただけで、同行していた妻は「これはいないわね」と一言。僕も雨の中を山に登る気力がなくて、一度はUターンしました。
 しかし、車道に出て数百メートル行ったあたりで、「行っちゃうの?」という声が聞こえたような気がしました。
 その声は小さくて、大きな威厳のある狛犬の声ではありません。僕の好きな小さくて素朴な狛犬の呼び声。
 それで、助手席の妻に「なんか呼んでいる気がする……」と言うと、「じゃあ、戻れば?」という答え。
 思いきって引き返し、車の中に呆れ顔の妻を残して、一人暗い雨の参道を登りつめると……。
 いた!
 まさにあの呼んだ声のイメージにぴったりの、苔むした小さな狛犬がいるではありませんか。寛永年間くらいの制作でしょうか。太った猫くらいの大きさで、四つん這いになっている「江戸はじめ」というタイプ。
 きみたちが呼んだんだね……と、思わず涙が出そうになりました。
 狛犬は生きている……ほんとです。






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