タヌパック短信 23

●「鐸」をめぐる旅(2)


 JISコードの最初の改定があった八三年という年を振り返ると、WINDOWSなどはまだ出ていなくて、ようやくDOSマシンのNEC98シリーズが発表されたばかり。第二水準漢字ROMなどというものは、極めて高価な別売品で、とても普通の人が使える環境ではありませんでした。第一水準か第二水準かということはかなり深刻な問題だったのです。
 しかも、このときに、添付した「例示字形」表の文字を、別の規格で進めていた24ドットフォント(当時のワープロやパソコン用のプリンタは、まだ24ドット、16ドットが主流で、32ドット、48ドット、アウトラインフォント――という進化はもう少し先でした)の印字例に合わせてしまったために、大量の「嘘字」をJISで公認したかのような印象を与えてしまいました。
 こうした問題だらけの改定だったので、業界も素直には新JISを受け入れず、従来の旧JISを採用し続けるところが出たり(NECのPC98シリーズ)、折衷案の独自フォントを作ったり(富士通)大混乱したようです。
 僕自身はそんなことにはまったく気がつきませんでした。なぜなら、この八三年改訂でも、「鐸」は第二水準へ追いやられることなく、第一水準のまま生き残っていたからです。
 新しいワープロ(パソコン)を買った途端に自分の名前が「鈬木能光」と変わってしまったら、いくらなんでも異常事態に気がつきます。実際、全国の「檜山」さん「壺井」さんらはそういう経験をしたわけです。
 しかも、98ではきちんと画面上に「檜」と表示され、印字もできたのに、印刷所にフロッピー入稿したら「桧」になって本になってしまったというような事件が多発していたわけです。
 幸い、デジタル技術の発達は凄まじく、今では第二水準漢字を扱うことはなんでもなくなってしまいました。日本語入力ソフトも高性能になり、今この原稿を書いている時点で、「鐸」も「鈬」も問題なく変換できます。
 しかし、昔のワープロで「檜山」と入力されていたデータを今のワープロ、パソコンで読み出すと「桧山」になってしまうというのはとんでもなく迷惑な話です。

●文字コードは両刃の剣


 八三年のJISコード改定を事実上一人で進めた人物は、当時の国立国語研究所日本語部長・N氏だということです。有名な漢字制限論者ということで、あの国語審議会でさえ慎重になっていた「部分字形(偏や旁を含む、漢字構成のパーツ)の統一」を、JISの名の下に強行したという印象は拭えません。どうやら「鐸」が第一水準に生き残ったのは、偶然にすぎなかったようです。
 もとより、こうした約束事を決める人たちというのは、どんなに苦労していい仕事をしたとしても、まず誉められることは少ないものです。しかし、そうした同情を加味しても、やはり八三年の改定は漢字文化に瀕死の重傷を負わせかねない事件だったことは間違いないでしょう。
 もちろん、僕は文字コード制定を否定的にばかりはとらえていません。
 漢字がコード化され、日本語がデジタル処理できるようになったことによる恩恵は計り知れません。膨大な書類、それを保管する場所が、掌に収まるほどの小さな磁気ディスクに取って代わられるのですから。
 ワープロやパソコンが鉛筆代わりになってからは、僕の指からペンだこが消え、煩わしい消しゴムかすの掃除もしなくてよくなりました。小説執筆においては、執筆速度が上がったことはもちろん、何度でも気の済むまで推敲できるようになったことは劇的な環境向上です。
 作家など文学畑の人たちからは、漢字のコード化が、漢字文化を衰退させるのではないかという危惧の声が強くあがっています。
 第一水準と第二水準を合わせて現在は六三五五文字。それではとても足らないというので、その後、いわゆる「補助漢字(JIS X0212)」と呼ばれる五八〇一字が追加制定されたましたが、この漢字を表示できるシステムは、未だに一般のパソコンには搭載されていません。
 文字コードは、どんなシステムを採用したところで、「使える文字を限定する」ことに変わりありません。正字であっても、現状ではほとんど見られなくなった旧字体、異体字、俗字は次第に消えていくでしょう。
 でも、これを一概に漢字文化衰退と決めつけるのは早計な気がするのです。うまくやれば、漢字のデジタル化は、漢字を略字体化していく方向に歯止めをかける切り札にもなります。そう、「鐸」のように。
 中国では、漢字の略字体化が日本よりずっと進んでいます。これは、中国語には仮名文字がなく、文字のキーボード入力が困難で、ほとんどの文書を手書きで記録しなければならなかったからだとも推測できます。
「鐸」は二一画あります。「山田太一」さんは姓名合わせても一三画しかありません。僕が「鐸」を書いている間に名前の全部を書き終えているかもしれません。でも、キーボードで入力するなら手間は一緒です。
 読む面においても、「鐸」より「鈬」のほうが読みやすく、認識しやすいかというと、決してそんなことはなく、むしろ多くの場合は逆ではないでしょうか。読むだけなら、崩した書体を使う意味はないのです。(さらに続く)


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