タヌパック短信 1

『狸と五線譜』に続いて、調子に乗って新連載を始めさせていただきます。 時事刻々と変化していく世相をやぶにらみしながら、近況報告なども交えて環境問題・エネルギー問題・人間の精神の品性などについて、気ままに語らせていただくという、調子のいい連載ですが、どうぞおつきあいください。
 連載開始早々、私事を持ち出して恐縮ですが、今月と来月は、僕の身近で起きた二つの死について書かせてください。
 去年の五月、六月とわたって、僕にとってかなり大きな意味を持った二人の男性が相次いで死去しました。一周忌を迎えた今、新たに、あるいは改めて死者の言葉に触れるという体験をしました。
 五月に亡くなったのは、『狸と五線譜』でも何度か書いた、中学校の恩師です。まずはこの恩師・井津佳士先生の死について書かせてください。
 井津先生は一九三四年一一月三日、高知県安芸郡北川村というところに生まれ、一九九四年五月二三日に、横浜市の警友病院で教え子である同病院の消化器科部長と奥様に見とられて亡くなりました。死因は胃癌。享年五九歳でした。
 中央大学法学部に入学したものの、法律の勉強が肌に合わずに文学部へ転部。一九五九年から没年まで、横浜市の私立聖光学院中学校・高校の国語科の教師を務めました。僕は中学一年、二年、高校一年の三年間、先生に現代国語を教わった生徒です。
 先日、「生愚記ほか・井津佳士遺稿集」という分厚い本が送られてきました。
 先生は昨年の一月二四日に最初の受診を受けてから死の直前までの日記を「生愚記」と題して残していました。二月一五日の日記には、こんな一節が記されていました。

[たくき よしみつ君から手紙がくる。たくき君と交換した手紙が、「草の根通信」に掲載され始めた。本紙は、現在の日本にあってなかなか腰のすわった土性骨のある冊子である。たくき君に返事を書く]


 その返事というのが、以前に『狸と五線譜』に掲載したものです。そこにあった「いま私はほんの少し病気です」という言葉をそのまま、あるいは比喩的なものと受け取ってしまった僕は、ちょっと引っかかるものを感じはしても、まさかガンで余命いくばくもないなどとは思ってもいませんでした。
 井津先生とは在学中はほとんど交流はありませんでした。中学二年のときに同級生に半ば強引に誘われて参加した「文芸同志会」というサークルの顧問を引き受けてくださったのが井津先生でしたが、そのサークルでもそれほど印象に残ったやりとりは思い出せません。「遺稿集」の中に、そのときのサークル発足に寄せて先生が書いた文章が入っていました。以下、全文を転載します。

[『新緑』発刊によせて

 闇の世界は闇の中にあります。闇の中に灯りをつけると、その瞬間に闇は消滅してしまいます。闇夜にともる一個の電灯は、まだ闇の風景の一点景ですが、ネオンサインやサーチライトの光の氾濫する都会のまっただ中には闇の風景はありません。そこに住む子供たちには闇夜は存在しないのかもしれません。
テレビとCMの時代の今日は、すべてのものが可視光線と喝采の中にあるといえなくもありません。正しくは、可視光線と喝采の中にあるものが、存在するもののすべてだと人々は思っているというべきでしょうが。これが価値あるものだ、美しいものだ、真実なものだと一方的に伝えられ、人々はそれを喝采をもって迎えます。喝采されるものが真であり、美であり、善であるという錯覚も生じます。こうして、可視光線と喝采の中から生まれてくるもののほとんどがインスタントな文化であり、思想であることは、心ある人ならだれでもが認めています。
若者は性急です。インスタントな文化や思想は、そのまま性急な若者に受け容れられます。若者はまた性急なるがゆえに脆弱です。彼らは集団の力をたのみます。集団の喝采は彼らにとってこの上ない力です。
文化のいとなみは、一面、自分の生きている時代に言葉を通して懸命にかかわってみることでもあります。その意味で時代の思想とは無縁ではありません。ところが、その未来は、若者が考えたとおりには動いてこなかったし、いま集団で絶叫し、集団で喝采してみたところで、それが可視光線の中で生まれたインスタントな思想である場合はなおさらです。やがて人々にあきられ、無喝采になったときに、なお自分の思想を世の圧力に抗しながら主張し続けることができるだろうか。「人間の根の強さだけが、そのときものをいう」と、当代随一の気骨家金子光晴はいう。われわれは、この老詩人の不屈の精神に学ばねばならないときにきているのです。
光と喝采はなくても、いや、ないからこそ闇の世界は厳然と存在するのです。そして、その闇の世界にこそ現代の見失ったものがあるのです。闇の世界の真実は、闇の中に住み、手探りで、自分の足で闇の世界を生きていくことによってのみ発見されるのです。
   (一九六九 一二/一九)]


長い引用になりましたが、この文章に四半世紀を経て再会し、まさに今の自分のテーマを再確認できたという感動を書き留めておきたかったのです。

メッセージの伝達って、とても難しく、切ないものですね。


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