タヌパック短信 番外編

■デジタル・エントロピーの恐怖


 草の根通信版「タヌパック短信」は、最終回告知もないまま、突然終わってしまいましたが、原因は我が家の基盤が崩壊したことにあります。
 98年はひどい年でした。恐らく今まででいちばん辛い年だったのではないかと思います。不況になれば余計なゴミが出なくていいと思っていたんですが、仕事もまったく来なくなりました。「俺が作っていたものはゴミ以下だったのか……」と、頭を抱えてしまいました。
 売れない本、売れないCD、みんな今まではバブルのお情けで世に出ていたのかもしれません。
 とりあえずは経済を立て直さなければ……ということで、もはやきれい事だけ言っているわけにもいかなくなりました。清貧をモットーとする「草の根通信」に、そうした汚れた気持ちのままエッセイを書き続けるのは失礼だと思い、連載を打ち切らせていただいたわけです。
   
 最近、「デジタル・エントロピー」というものを考えるようになりました。
 
 こんなことです。
 
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■デジタル・エントロピーの恐怖


 ●急速なデジタル革命についていけず、落ちこぼれたり、デジタル・アレルギーを起こす人たちが増えている。ビジネスの世界で、パソコン端末が扱えないというだけで、それまでの豊富な人間関係や経験を否定され、窓際に追いやられる中高年。技術が進みすぎて、中身が伴わない創作活動が増えていく映像や出版文化の現場で悩む表現者たち……。
 
 ●一方では、電子メールのやりとりがあまりに便利すぎて、直接相手の顔や声を知らないまま、意志疎通を重ねてしまうという社会が出現しつつある。そこで生まれるものは、相手の正体を知らないまま、眠れないほどの「恋」に陥るネット恋愛(勝手に美女の姿を思い描いていても、相手の正体は禿げたおっさんだったりするかもしれない……)や、長い年月を経て培ってきた友情や信頼関係が、メールの何気ないやりとりの積み重ねから破綻し、憎み合うまでに至るメール喧嘩の数々(飲み屋で顔と顔をつきあわせていれば、同じ言葉を吐いても笑い話で済んでいるのに)。
 ●実際に、ネット恋愛が高じて離婚してしまった夫婦もいれば、言葉だけで互いを追いつめ、友情を終わらせてしまった親友同士もいる。
 
 ●何かがおかしい。通信に乗って流れる情報そのものには、基本的に質量も熱もない。トラックでものを運べば、大気が汚染され、環境に負荷をかけるが、デジタルの世界では、一見なんの「汚染」も起きていないように見える。しかし、物理的には汚染が起きていなくとも、精神的に傷つけられている部分が確実に存在するのではないか? 目に見えない汚染だからこそ、その「知らぬ間に起きている傷」は重大で恐ろしい。
 
 ●ある作家は、自分のメールボックスにこのような通知を出した。
 
 【「日本を、とめよう」キャンペーン中】 
 興奮してがんがんレスを書き、収拾がつかなくなったことはありませんか?
 メールの不用意な一言で、ケンカになったことはないでしょうか。それは、
 レスポンスの速さに負けて、自分のペースを見誤っているのです。ネットに
 限ったことではなく、今の日本、スピードが速すぎる、と思います。
 そこで私は日本をとめたいのですが、そこまで偉くはないので、個人的に、
 私をとめることにしました。戴いたメールはよく読み、考えてからご返事を
 出しますので、どうか、焦らずお待ち下さいませ。m(__)m
 むろん、急ぎのご用事には、迅速に対処致します。
 
 ●物を生産したり移動させたりすれば、必ず汚染が起きる。その汚れ(廃熱・廃物)を、熱力学の用語で「エントロピー」という。エントロピーは増えることはあっても決して減ることはない。(情報科学の世界でも、情報の不確かさや混乱を示す指数として同じエントロピーという用語が使われているが、本質的にまったく別のものである)デジタルの世界では、一見、物理的なエントロピーはほとんど生じていないように見えるが(CPUが発熱したり、通信において最低限の電力消費や設備投資へのエネルギー投入は行われるものの)、実は、その裏では精神的な「見えない」世界での深刻な「汚染」が起きているのではないか? 物理量では測れない、精神エネルギーを消耗、あるいは汚染し、傷つける新たなエントロピーがあるのではないか?
 
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 ……というようなものです。 

 これに対して「最近あまり言われなくなった『テクノストレス』という言葉は、コンピュータやインターネットへの『不適応』問題を指したものですが、今はそれ以上に、『過剰適応』問題が深刻になっている」という指摘などもいただきました。
 その通りだと思います。

 こういう内容の本を書きたいんですが、今のところ、誰も相手にしてくれません。(興味を持っていただける編集者のかた、ぜひご連絡ください)

 一方で、また「エントロピー」かよ……と、顔をしかめる人もいました。エントロピーという言葉を聞いただけで不愉快になる人がたくさんいるんだから、もうやめなさいよ、というわけです。

 はい、そうします。(^^;;
 
 ただ、これからどんどん通信が発達し、表現の世界でもデジタル技術が発達していくわけですから、どこかでこの「デジタル・エントロピー」というものを意識していないと、気づかないうちに大きな失敗をするような気がしてなりません。
(そう言いながらも、こうしてインターネット上に長文を掲示しているわけですけど)
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 さて、世の中では「経済再建」が叫ばれていますが、物理学者の槌田敦氏からの年賀状に、こんな言葉がありました。

<『不況』は予想以上に深刻です。その原因は、需要以上に供給したことです。そこで、供給を増やさず、需要を増やすには、たとえば、国有銀行を作り、民間銀行から資金を借りて、失業者に生活資金を貸し付けます。そして、収入が得られるようになったら返金させます。
 しかし、現在とられている政策は、低金利、貸し渋り対策、規制緩和、消費税の増税策など、供給を増やし、需要を減らすことばかりです。ますます不況は深刻になるでしょう。何のために経済学があったのでしょうか。(以下略)>


 供給を増やさずに需要を増やすという発想は、とても大切だと思います。
 今までは、安かろう悪かろうでも、物を大量に生産することがよいこと(経済の発展には不可欠なこと)とされてきました。
 しかし、これでは破綻は目に見えています。量的な発展というのは、必ず限界があります。地球が宇宙空間に向かって捨てられるエントロピーの量を超えて生産することなど不可能だからです。いつまでも成長し続ける生物がいるとしたら、適正な寿命を迎える前に死ぬはずです。当たり前のことなのに、なぜ「生産量を増やし続ける」ことにだけ目を向けるのでしょうか。いい加減に、そんな子供っぽい幻想からは脱却しなければ。

 例えば、自動車産業を例に取りましょう。
 いつまでも古くさくならない、「文化」としてかっこいい車を作れば、長く乗る人が出てきます。そうすると、廃車というゴミが減ります。
 でも、さらによい車を作り続ければ、お金のある人はやはりその車を欲しくなります。で、それまでに乗っていた車を手放すわけですが、その手放した車は依然として「よい車」なので、中古車として購入したいと思う人もたくさんいます。中古車業界の需要が増えると同時に、リサイクルが成り立ちます。
 傷んでも乗り続けたいほどよい車だから、修理する人も増えます。修理業界の需要が増えます。
 しかし、全体としての新車生産台数は減るでしょう。少量生産になり、新車一台あたりの値段は上がります。でも、それはしょうがないことです。自動車を作ること、自動車を走らせることは環境に負荷を与えるわけだから、それなりの経済的負担がなければ歯止めが利きません。
 そういう世の中は、今までの新車大量生産時代より不幸でしょうか?
 僕は決してそうは思いません。車への愛情が深まるだろうし、結果的には多くの人が質のよい車に乗ることができる、よい世の中ではないかという気がします。
 新しい車が欲しいという気持ちは、今の車がださくて愛情を持ち続けられないから起こるわけです。そういう下品で質の悪い車を作り続けた世の中を恥じるべきです。
 本やCDも、少品種大量生産→大量のゴミ……という時代はもうやめたいものです。多品種少量生産でリサイクル。本当によいものだけがそこそこに売れて、しかも古本屋や中古CD店を通じて長いサイクルで生き延びるという世の中のほうが、文化の質は確実に向上するはずです。
 そうした多様性と循環経路の豊かさを誇る世の中では、土建業者や大規模生産業者が一時的に整理されていくのは仕方のないことだと思います。でも、本物の技術を持った専門家や、きめ細かなサービスを提供する職業は生き残り、きちんとした競争をして、自分の仕事に誇りを持てる世の中が作れるかもしれません。
 いいじゃないですか、そのほうがずっと。

 デジタル技術はそうした「本当の多様性」「質の向上」を支えるための手段として利用されなければなりません。インターネットは空っぽの洞窟などということは決してありません。なんでもありの世界だからこそ、淘汰されていくものが出てくるし、見つけるべき情報の宝もあるのですから。
 
 我が家は見事に一旦崩壊しましたが、僕は今、デジタル・エントロピーも不況も乗り越えて、新しい生き方を模索しようとしています。
 草の根通信版タヌパック短信はこれで終わりますが、そのうちに余裕が出てきたら、タヌパック版エントロピー入門教室シリーズでも始めてみようと思います。
 おいおい、またエントロピーかよ……って? まあ、僕にしてみれば、もはやこれは主義主張を超えて、趣味の領域に戻ってきていますから、お気楽にいきますよ。もし、興味のある方がいらっしゃいましたら、そのときはまた、よろしくおつきあいのほどをお願いいたします。
「草の根通信版タヌパック短信」本当の最終回に代えて。

1999年初頭  たくき よしみつ


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☆タヌパック短信・草の根通信版はこれで本当に最終回です。