『G線上の悪魔』立ち読み版

『G線上の悪魔』立ち読み版


◆ 書 名:G線上の悪魔

   種 別:小説単行本(A5版ハードカバー)248ページ
   著 者:たくき よしみつ
   版 元:廣済堂出版、1995.12
   価 格:1,600円(税込み)
   ISBN :4-331-05679-1 C0093




◆内容紹介:

 バイオリンの最高峰といわれるストラディバリウスは本当に音がいいのか? 名器 伝説に迫るべく、音楽の専門家たちによるバイオリンのブラインドテストを企画した 番組収録中に、解説者役の大物バイオリニストが急死した。死んだのは、日本のクラ シック音楽界を牛耳り、音楽教育現場においても圧倒的な支配力・影響力を持つ男・ 海士田征一(あまだせいいち)。心臓病を患っていたため、一旦は心臓発作による病 死として処理されかかったが、彼の前に置かれていた飲み物のグラスからはトリカブ ト毒が検出された。
 番組収録現場に集まっていた人物たちは、みな海士田とは複雑な関係にある。天才 バイオリニストと評される養女。海士田と対立していた元弟子の青年バイオリニスト。 海士田の養女をフランス在学中に密かに教え、彼女のアドリブ能力を開花させようと 夢見ている世界的ジャズバイオリニスト、かつて海士田に利用され、ストラドやガル ネリの偽物を作っていたバイオリン製作者、海士田には頭が上がらない音楽評論家……。 彼らを結ぶ糸をほどいていくうちに、さまざまな疑惑や新事実が浮かび上がる。
 音楽に一生をかける者、音楽を利用して人生を切り開こうとする者、クラシックの 閉鎖的世界に挑戦する者……、音楽をめぐる各人の生き様、心の闇を横軸にして展開 する、異色の長編ミステリー。
οοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοο

G線上の悪魔 (冒頭紹介版)

 パリ郊外。雑木林に隣接したこぎれいな住宅街の中に、周囲とは多少調和のとれな い、赤煉瓦の建物がある。
 夜九時を過ぎ、騒音も消え始めた外気の中に、その建物からかすかなバイオリンの 音色が染み出している。
 一分間に四分音符=一二〇くらいのスピードでのスケール練習。音は極めて安定し ており、演奏者がプロだということは素人耳にも分かる。
 その建物は、一応の防音処置が施されていた。時間帯を気にせず音楽を奏でるため である。
 家の主はあと数日で七十歳になる世界的なジャズバイオリニスト、フィリップ・ア ルベール・カルノー。かつては一種大道芸的に見られがちだったクラシック以外のバ イオリン音楽を、第一級の芸術の域に高めた先駆者として知られている。
 その超人的なテクニックは老齢になってもまったく衰えを知らず、今でも一年に五 十日以上は公演をこなしているバリバリの現役だ。
 しかし、さっきからスケール練習をしているのは、そのフィリップ・カルノーでは ない。
 簡素な作りの居間の中央でバイオリンを弾いているのは、身長一五〇センチに満た ない東洋系の少女だった。
 背中までまっすぐに伸びた黒い髪、大きく見開かれた焦げ茶色の瞳。小さな白い指 が、そこに本来秘められた神経と筋力の限界に挑むかのように、小柄なこの少女が持 つとアンバランスに大きく見えるフルスケールモデルのバイオリンのネックの上を、 素早く、力強く動き回っている。
 その様子を、グランドピアノの前に座った白髪の老人が目を細めて見守っている。
「今夜はここまでにしておきましょう。今、ジャンを呼ぶから、車が来るまで、熱い ココアでもどうですか?」
 フィリップ・カルノーは、満足げな笑みを浮かべながらそう言った。
「ありがとうございました。ココアは私が入れますから……」
 少女は、多少たどたどしいながらも正確なフランス語で答えると、バイオリンの弓 を緩め始めた。
 フィリップはアンティーク調の電話機を取り上げ、運転手のジャンに電話をした。
「ジャンかい? 今、終わったところだ。私の大切な恋人を、しっかり部屋までお送 りしてくれ。また門限を少し破ってしまいそうだな。そうだ、いただきものの菓子が あるから、あの感激屋のセス夫人に届けておくれ」
 電話は用件だけですぐに終わった。
「いつもすみません。私、お月謝もお払いしていないのに、こんなにまでしていただ いて……」
 老人が受話器を置くのを確認してから、少女が消え入りそうな声で言った。
「それは言わないってことになっていたでしょう? ひかり、君は特別なんだ。世界 中に、バイオリニストを目指している人間は星の数ほどいるでしょうが、私は君のよ うな素晴らしい宝石に出会ったことはない。君に出会い、こうして私の持っている技 術を伝えられることは、神様が私の生涯の最後に贈ってくれた最も大きな贈り物だよ」
 フランス人はとかく表現がオーバーだが、こんな台詞を吐くときでも、フィリップ の表情は真剣だった。
 少女ははにかむように微笑むと、小さく頷いた。
 少女の名前は北畑ひかり。十四歳になったばかりだが、パリでの生活はもう二年半 になる。
 小学校の卒業式も待たずに、バイオリン修行のため、パリのルミエール音楽院に特 別留学した。
 彼女は新潟県下では名を馳せた名家・北畑家の一人娘である。父親は新潟県下のみ ならず、北陸一帯に工務店や煎餅工場などを直営する北畑総合産業の社長・北畑葦次 郎。そして母親は、かつて将来を嘱望されながら、脂がのり始めた二十代後半で、事 故によって左手の小指と薬指を第二関節から失い、再生手術後も神経は元に戻らずに 演奏家生命を絶たれた悲劇のバイオリニスト・北畑玲子である。
 ひかりは、生まれたときから母親の夢を継いでバイオリニストになることを運命づ けられていたと言ってもいい。母親からありとあらゆる英才教育を施され、今もこう して技術を磨くためにフランスで単身下宿生活を続けている。
 しかし、彼女がフィリップ・カルノーにバイオリンを教わっているということを、 母親の玲子は知らない。母親が彼女に望んだものは、正統派のクラシックバイオリニ ストになることであり、いくら世界的な大家とはいえ、ジャズなどという「下世話」 な音楽をやる人間になど、近づけさせたくもなかったのだ。
 ひかりが母親に国際電話で、フィリップの指導を受けたいと相談したときも、即座 に反対された。
「あなたの師匠はベルモント先生です。師匠は二人はいりません。余計なことは考え ないで、しっかり本業に精を出しなさい」
 強い口調でそう答える母親に、ひかりはそれ以上逆らえなかった。
 それでも、まもなくひかりはフィリップの指導を受け始めた。つまり、これはフラ ンス人の老バイオリニストと日本人の少女との道ならぬ恋……いや、道ならぬ師弟関 係なのだった。
 ひかりは学校の正規のレッスンの合間を縫って、こっそりとフィリップのもとを訪 れる。フィリップも忙しいスケジュールをやりくりして、こうしてひかりにレッスン をつける。
 ひかりの送り迎えは、フィリップの運転手ジャンが受け持った。
 ひかりの下宿先の女主人がフィリップのファンであることも幸いして、このお忍び レッスンは、公に知られることなく、もう一年近く続いていた。
 フィリップにとって、誰かにバイオリンを教えるということは、長いバイオリニス ト人生の中でも実は初めてのことだった。
 もちろん教えてほしいという申し出は過去に何百回と受けたが、首を縦に振ったこ とはなかった。自分の音楽を完成させることに精一杯で、そんなことを考えるゆとり もなかったのだ。
 しかし、この東洋人の少女との出会いが、フィリップをすっかり変えてしまった。

 それは、一年前の、あるテレビ局が制作したクリスマス特別番組のリハーサルでの ことだった。
 フィリップは、その番組の中で、パリのルミエール音楽院のジュニアオーケストラ と、クリスマスメドレーを競演することになっていた。  そのオーケストラのメンバーの中に、ひかりがいた。  リハーサルが始まってすぐに、フィリップはいち早くひかりの存在に気づいた。数
十人の子供たちの中でただ一人の東洋人だったからかもしれない。
 自分が時折彼女の方に盗み見るような視線を向けていることに気づき、フィリップ は戸惑った。なぜ子供を盗み見るようなことをしなければいけないのだろうか?
 休憩時間、フィリップは身体が妙に熱っぽいのを感じて、バイオリンケースを抱え たまま一人でスタジオの裏庭に出ていった。暫く外の風に当たりたいと思ったのだ。
 すると、庭の片隅からバイオリンの音が聞こえてきた。
本番を前に、さっきのジュニアオーケストラの誰かが練習をしているらしい。曲は、 誰もが知っている『きよしこの夜』だった。
 これから収録される番組で、フィリップはジュニアオーケストラと一緒に、この『き よしこの夜』をはじめとするいくつかのクリスマスナンバーをメドレー形式にアレン ジしたものを演奏することになっていた。
 単純なロングトーン中心の曲をごくあたりまえに弾いているだけなのに、そのバイ オリンは不思議な引力を持っていた。
 素直な音色。伸びやかなボウイング。そうした基本的なことが、実はいちばん難し いのだということを、この道を究めたフィリップはよく知っていた。
 フィリップは感心して暫く耳を傾けていた。すると、演奏が次第にアドリブを交え た変奏曲風に変わっていった。これから演奏することになっているアレンジとも違う。
どうやらまったくのアドリブらしい。
 バックも何もないところで、純粋なメロディー楽器であるバイオリンでアドリブソ ロを展開するというのは相当難しいことだ。しかも、クラシックのバイオリニストは、 生涯アドリブというものをまったく経験しないまま終わることさえある。最年長でも 十六歳というジュニアオーケストラのメンバーが弾いているとはとても信じられなか った。
 一体誰が弾いているのか……。
 フィリップは音がする方にそっと近づいた。
 植木の後ろに積み上げられた大道具の陰で、あの黒い髪の東洋人の美少女が、一人 でバイオリンを弾いていた。
 フィリップは軽い目眩を覚えた。
 まだあどけなさの残る少女が、これだけの演奏を軽々とこなしている。一体何者な のだ?
 フィリップはそっと自分のバイオリンケースを開けて愛用のベルゴンジを取り出す と、少女が奏でるメロディーに、さらに新たなアドリブのバッキングを付け始めた。
 少女は一瞬驚いたような目を向けたが、いささかも躊躇することなく、そのまま演 奏を続けた。
 演奏の腕もさることながら、番組の主役が突然加わったセッションに物怖じしない 少女の剛胆さにも、フィリップは大いに感動した。
 二人はそれから数分間、まるで毎晩セッションしている親子デュオのように、即興 演奏を繰り広げた。

 あの運命的な出会いから一年が経った。
 ひかりはフィリップの指導を受け、めきめきと腕をあげていった。
 フィリップはひかりに、クラシックでは軽視されがちな即興演奏の極意やジャズの 音楽理論を教えた。
「誰かが記した音符を忠実になぞるだけが演奏の喜びではありません。演奏家は作曲 家の下僕ではないんです」
 フィリップはことあるごとにそう言ってきかせたものだ。
 そう、まさにそれを信条として、彼は今まで、長く孤独な戦いを続けてきたのだっ た。
 そもそもフィリップほどの技術があれば、クラシック界でも十分一流のソリストと して大成できただろう。しかし、フィリップはその道を選ばなかった。今でこそ押し も押されもせぬジャズバイオリンの巨匠として認められているが、この名声を得るま でには数々の苦汁をなめつくしてきた。「所詮は少し出来のいい大道芸人さ」という クラシック界からの揶揄に耐え、保守的で下品な批評家の無理解を乗り越え……。

「ココアが入りました」
 ひかりの声で、フィリップは短い追想から目覚めた。
「ああ、ありがとう。もうすぐジャンが迎えに来る。今度はいつ一緒に学べるかな」
 フィリップはひかりとのレッスンを「一緒に学ぶ」と表現する。
 ひかりと一緒にいる時間が、彼の気力を奮い立たせる。
 ひかりの無限の可能性が、フィリップの残り少ない人生に、大いなる意味を与えて くれる気がする。
 彼にとってはひかりと一緒に音楽を奏でられる時間はまさしく人生最後の勉強でも あったのだ。
「分からないんです。このところベルモント先生のご指導も日増しに厳しくなってい て、その日になってから居残り特訓を言われることもありますし……」
「ラファエル・ベルモントか……」
 世渡り上手なだけの二流のバイオリニスト……という言葉が続きそうになるのを、 フィリップはすんでのところで呑み込んだ。
 ひかりの前ではそんな下品な自分を見せたくない。
 それにしても、ひかりの両親に、彼女にふさわしい教師はこの自分をおいて他にな いということを、どうにかして教えられないものだろうか。
 天下のフィリップ・カルノーが、なぜこんなこそこそとした逢い引きまがいのこと を続けなければならないのだろうと思うと、情けなく、また口惜しい。
 そのとき、ドアを激しくノックする音がした。
「分かったよ、ジャン。そんなに乱暴なリズムでノックするなんて、どうしたってい うんだ?」
 フィリップはせっかくの至福の時間を寸断され、不機嫌そうにドアを開けた。
 しかし、ドアの外に立っていたのは運転手のジャンではなかった。太った中年女性 が息を切らして立っていた。ひかりが下宿しているアパートの女主人だった。
「おや、セス夫人、どうしたんです?」
「何度電話しても出ないんですもの」
「それはすみませんでしたね。ひかりとのレッスンのときは、電話のベルを切ってい るんです。それで、どうしたんです?」
「ひかりちゃんのお父さんとお母さんが……」
 セス夫人はそう言ったまま、数秒間絶句した。

         ∇‡∇
[関越道で事故・二人即死
 四日午後八時半頃、関越自動車道下り線、小千谷インターチェンジ付近で、乗用車 と大型トラックの衝突事故があり、乗用車に乗っていた夫婦が即死した。
 亡くなったのは長岡市の会社社長・北畑葦次郎さん(五二)と妻の玲子さん(四一)。
葦次郎氏は新潟県下を始め、北陸地方に建築・製造など二十一社の企業を抱える北畑 総合産業の社長。妻・玲子さんはかつてボストン弦楽音楽コンクール新人奨励賞を受 賞したバイオリニストとして知られる。
 葦次郎さんの運転する乗用車が中央分離帯に衝突した弾みで横転し、後続の大型ト ラックに真横から衝突された。原因は葦次郎さんの居眠り運転と見られている]
 地方紙にこのように掲載された事故から七年が経った。
 北畑夫妻の一人娘であるひかりは、即座にパリから帰国させられた。フィリップに とっては、さようならさえ言えなかった慌ただしい別れだった。まさかそのまま再会 できずにこれだけの年月が経ってしまうとは、そのときには思いもよらないことだっ た。
 フィリップは七十七になった。
 今でも現役を続けていたが、さすがにこのところ、指の動きや力に往年の切れが失 われつつあるのが分かる。
 もう自分に残された時間はほとんどない。
 フィリップは、毎晩寝る前に、ベッドの横に跪いて祈りを捧げる。
 祈りの相手はイエス・キリストではなかった。
〈ベルよ。お願いです。もう一度だけ私の前に現れてください……〉
 祈りはいつもそうした呼びかけから始まる。

 ベルがフィリップの前に現れたのはもう五十年以上も前のことになる。
 フィリップはその夜のことを今でも鮮明に覚えている。
 そのとき、フィリップは二十五歳。大道芸人の父親が必死の思いで作った金で入学 させてもらったパリ・ルミエール音楽院バイオリン科を首席で卒業したばかりの頃だ った。
「基本を身に着けなければ駄目だ。おまえは私などを目標にしてはいけない。世界一 のバイオリニストになれ」
 生涯一大道芸人としてバイオリンを弾き続けた父親ミシェルは、一人息子が大学を 卒業する日を見届けることなく病死した。
 音楽院を卒業したばかりのフィリップは、人生最大の岐路に立たされていた。
 彼は恋をしていた。
 相手は学院で二年後輩のチェロ奏者ソニア。彼女の父親はローマ・アカデミー・オ ーケストラの指揮者として世界的に名を馳せた実力者だった。
 大道芸人の息子と世界的な名指揮者の娘。二人の仲を知る知人たちは、若手バイオ リニストのホープであるフィリップがソニアと結婚すれば、父親の後ろ盾も得て将来 は完全に約束されるだろうと見ていた。
 しかし、フィリップは悩んでいた。
 音楽院で学んだ数年間は確かに技術の向上には役立ったが、音楽の喜びというもの からはどんどん遠ざかってしまった気がしていたのだ。
 彼は正課のバイオリンの他に、独学でジャズピアノを練習し始めていた。自分がバ イオリニストであることを隠して、別の大学のジャズサークルに出入りし、ピアニス トとしてセッションを楽しんだりもしていた。困ったことに、彼にとって音楽を演奏 する喜びは、その三流学生バンドでのほうがむしろ得られたのだった。
 学生ジャズバンドの演奏は、音楽院の専攻課程にいる学生たちの演奏に比べたらお 話にならないほど粗雑で稚拙なものだった。しかし、なぜかフィリップはそのバンド で自由にアドリブプレイを楽しむことをやめられなかったのだ。
 ある日、フィリップは思いきって恋人のソニアを自分のジャズバンドの演奏会に招 待した。しかし、演奏会が終わる前に、ソニアは客席から消えてしまった。
「どういうつもりなの? 愚劣なお遊びなんかして。あんな雑音、私には一分でも耐 えられないわ。その雑音を出す素人集団の中にあなたがいるなんて、信じられない。 約束してちょうだい。もう二度とあんな馬鹿なことはしないって」
 ソニアは目に涙をため、耳まで真っ赤になってそう訴えた。
 そんなに感情的になった彼女を見たのは初めてだったフィリップは、どう返事をし ていいか分からず、呆然と立ちつくしていた。

 ベルがフィリップの前に姿を現したのはその事件の数日後だった。
 普段呑み慣れない酒を呑み、まどろんでいたときだった。気がつくと、下宿部屋の ベッドの脇に、新素材でできた現代彫刻のようなものが立っていた。
 身の丈二メートルあまり。全身が金色で、目も口も鼻も判別できない。ただ、頭の てっぺんよりも上に飛び出した尖った耳だけがかすかに動いていた。
 両手で、巨大な赤い鎌のようなものを持っていた。刃の部分が異様に大きく、それ を支える柄の部分が不釣り合いに細い。
 身体は一面金箔をまぶしたようで、どこからどこまでが衣服で、どこが皮膚なのか も分からなかった。耳が動いていなければ、誰かが悪戯で巨大なオブジェを置いてい ったのだろうかと思ったに違いない。
「ようやく会えたね、フィリップ君」
 全身黄金に輝くそいつは、透き通った涼しい声でそう言った。
「あなたは?」
 フィリップは問いかけた。声になっていたかどうかは分からない。もしかしたら心 の中でそう念じただけかもしれない。
「私? 名前が必要なら、ベルとでも呼んでくれたまえ」
 金色の怪物は答えた。
「私はなかなか気むずかしい質でね。並大抵の呼び出しには答えないことにしている んだが、君はとうとう私を呼び出してしまったね」
「僕が呼び出した?」
 フィリップは思わず問い返した。
 ベルは相変わらず透明な声で答えた。
「ほう、これはまたご挨拶だね。君から呼び出しておいてそれはないだろう? 取引 をしたいんだろう? 君がいちばん望んでいながら手にできないものを与える代わり に、君がすでに手にしているものの中でいちばん大切なものをいただく。説明せずと も、分かっているはずだがね」
「僕にとっていちばん望んでいながら手にできないもの? すでに手にしているもの の中でいちばん大切なもの?」
「そうさ。これ以上とぼけるならこのまま消えるよ。取引をするならする、しないな らしないでさっさと決めてくれないかね」
 ベルは尖った耳をひくひくと動かしながら言った。

(以下、続きは本編で!)


アマゾンコムでこの本の古書を注文
indexへ戻る    著作リストへ戻る