タヌパック短信 4

●市民運動のあり方を考える(二)

 環境保護運動というテーマは、結局、広く経済や政治にまで関係してきます。もちろん物理学や化学の基礎的な理解力も必要なので、正確を期そうとするとかなり疲れる作業です。
 先月、『環境保護運動はどこが間違っているのか?』(槌田敦・著/宝島社)に対する一部の市民グループから猛烈な抗議について書きましたが、その一例として、『科学朝日』三月号の「この本は心して読め! とんでも本大集合」という特集の当該ページのコピーを入手しました。今、売れに売れているという『トンデモ本の世界』(と学界/洋泉社)の科学ネタ版という趣の特集です。『環境保護運動は~』を「トンデモ本」と決めつけて記事を書いているのは、大手パソコンネットニフティ・サーブの自然環境フォーラム(FENV)の議長である「猫が好き♪」という人物です。
 彼は市民運動フォーラムという公開されたフォーラムの中で、例えば、
[専門家は、その専門分野外では、他の素人と平等な素人です。このあたりについては、渡部昇一だったっけ、という英文学者のクセに肩書きを武器に日本史ををねじ曲げようとする愚者とか、槌田敦だったっけ、物理学者のクセにリサイクル問題に口出ししようとする愚者とかがいますけど、同様に、どっかの大学の教授であるとか、なんかの分野で研究者として評価されているのをいいことに他分野にもその権威を持ち出そうとするアホとかがあちゃこちゃにいますから、専門分野を逸脱したところでぶったたくというのはありかもしれません]
 というようなことを書いています。どうやら「科学朝日」の中での記事はこれを実践したようで、
[本書は、科学の世界でも定評があり、実は市民運動の世界でもかなりの知名度を誇る著者が、ちょっとした専門範囲の逸脱をした結果生まれた、トンデモな「超科学本」である。リサイクルなどの環境保全の世界に及ぼした害もはかりしれないと僕は考えている]
 と言いきっています。
 しかし、この人が『環境保護運動は~』を「トンデモ本」と決めつける根拠としてあげている、同書の中での槌田氏の事実誤認や言い回しの不備は、本全体として主張しているテーマの重大さに比べれば、修正可能な枝葉のことだと僕は思っています。
 例えば、「ロングライフミルク」という言葉を槌田敦氏は確かに一部不適当に使っていたかもしれません。しかしそうした用語のミスは誰にでもあることです。前後の文脈を読んでも、ここでの主張は「良質のパルプを使っていても再生ができないラミネート加工の商品を作ること自体が間違いである」ということなのですから、悪意の揚げ足取りにしかなっていません。
 槌田敦氏はこの本の最後で、こう書いています。
[今ほんとうに必要なのは、環境問題をめぐるさまざまな状況をきちんと把握して、その問題を社会のシステムの中で解決していく具体的なプログラムをつくり、その実現のために社会的・政治的な運動を展開していくことなんじゃないかと、僕は思います。]
 この本よりも後に出た『間違いだらけのリサイクル』(伊藤吉徳・著/日本経済通信社)では、大学院生である著者が自分の足で調べたデータや、リサイクル最前線にいる関係者の生の声を紹介しています。スウェーデンでの環境行政についても紹介しています。
 紙パックの製造を認めず、牛乳は牛乳瓶で、あるいは容器持参の量り売りが当たり前になっているという現状を伝えています。日本よりも国土が広く、人口は二桁少ない国でのやり方がすべて真似できるわけではないでしょうが、少なくとも今の日本に比べてはるかにまともな行政システム、国民の意識、そこから生まれてきた数々の有効なリサイクル行政の先例には学ばなければならないものが山ほどあります。
 この著者は「体系的なものの見方」ということを繰り返し説いていますが、彼は例えば、「牛乳パックは本当にリサイクルできているのか?」という問題にきちんと向かっていき、より一歩先に進むことができたのだと思います。
「環境問題を取り巻く状況をきちんと把握」するためには、かなり面倒な対話や討論も必要でしょう。その過程で数々の認識ミスやデータの欠陥を指摘されたりすることもあるでしょうし、もっと端的に「あいつは気に入らない」という感情的な衝突も当然起きてきます。しかし、そのレベルで留まっていては、到底その先の「問題を社会のシステムの中で解決していく具体的なプログラムをつくり、その実現のために社会的・政治的な運動を展開していくこと」など不可能です。
「状況をきちんと把握」したり、「エネルギーや環境問題において、いんちきなPRに騙されないように基本的な理解力を養う」という、市民運動にとっての第一段階で、「市民運動」「環境保護運動」を名乗る側から、それを不可能にしたり、混乱させたりするような卑劣で低レベルなやり口の行為が出てくるのを見ると、本当に暗澹たる気持ちになります。反論するとか異議を唱えるという以前に、そういう卑劣な論争のやり方しかできない人を相手にすること自体が馬鹿らしくなるのです。本当はそういうことではいけないのでしょうが……。



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